2008年8月30日土曜日

通り雨

涙をひきだした曲と一緒に

運ばれた悲しみの感情は

素晴らしい

嬉しさという感情まで生み出しそうだ。

ただ、

有無を言わさず、感情を放り去る現状は、

素晴らしさの意味すら覆い包んでしまう。

2008年8月20日水曜日

決断

雨の中 身をなげても 雨にあたらない

目を閉ざしホームを駆け抜けて 人に接しない

心の臓に槍を突きたてられても 倒れない

また

雨の中 身をなげれば 雨を吸収し

目を閉ざしホームを駆け抜けて 人にとけこみ

心の臓に槍を突きたてられても 槍を体と化せる


実際は、どれも無理であるが、私の精神はそういうことのようだ。


けして無理じゃない

けして無茶じゃない

けして負けない

そして、すべてを吸収しつづける


それが私の決断

2008年8月11日月曜日

人には、かかせない




ダイアを切断する水は、

つよく

熱で蒸発する水は

よわく

その表情を時と場所、用途でかえる

僕にその自然の流れをください。

僕にその表情をください。

僕に教えてください

2008年8月5日火曜日

流れのままに

流れのままに感じるままに

自分に流し込んでいこうと思い

自然にしていたつもりの私だったが

理解と感情とは別であることに

思い知らされる。

理解と感情とは別であることについてすら

理解をしていないわけではなかったが

思い知らされることは、すごく衝撃的であった


先日、家族より手紙がきたと知らされた。

激しい頭痛と息苦しさ

哀しいのかくやしいのか

はたまた怒っているのかわからないが

何か変化があったみたいだ。

それは、根強くこころに残り

いまだ消化されていない現実は

どういう状態かわからない。


眠りたい。

そう願うがそれは、ゆるされず

ただ ただ

安心して寝てしまいたい。

安心の感情をもたない

私には無理な相談ではあるが

そう思う。

眠りたい 安堵に満ちたゆりかごの中で

2008年7月29日火曜日

変化する現象

変化があったようだ。

前にもここで、話したことがあるとおもう。

僕のイメージ。

突然、瞬時に見えるイメージがある。

実際いつかは、わからないが、見たイメージは必ず起きる。

それが、相手、自分のイメージどちらもある。

今までそうだったし確信もしていた。

ただ、変化がおきたようだ

相手のイメージは多分”起きる”イメージとして

まだ確立していると思うが

自分のイメージがみえなくなった。

正確にいうと、自分のイメージだったのに

違う誰かのイメージになっている。


1度目は、バイクでの事故のイメージ

僕がバイクにのっていて事故をするイメージ。

僕はバイクには乗らないし

起きるはずもないと思っていたが、一応安全策はとっていた。

しかし、このイメージは、同僚に起こった。

僕がみたイメージと同じシチュエーション

負うはずだった傷の場所まで同じだった。

僕が避けていたからなったのかと

少し疑問に思っていたが、どうもそうでは、ないらしい。


2度目が起きた。


昔みたイメージ

僕が死ぬイメージ。

夕飯後、食べ終わってから突然たおれ

死を感じるイメージ

感覚的に30代であった。目の前には奥さんがいた

これが、また会社の知人におきた。

詳しくは聞けなかったが、


30代後半だった

夕飯後、突然たおれた

奥さんの目の前で倒れた

子供が、その時いなかった
(実際に知人は、まだ子をさずかっていない)


このシチュエーションは、まったく一緒。


僕は、自分のイメージをみれなくなった。

今までなら相手のイメージとしてみていたものが、

どういう条件かは、わからないが

僕とのすり替わってみているみたいだ。

それとも僕が、相手に植え付けたか・・・

と書いたところで

この現象の変化について、こころが揺らがなく平然としている

僕は、そうとう人間味がないと感じる。


このイメージの現象自体、

デジャブの長時間版の延長にできた現象。

昔、デジャブをよく体験し、次第にその時間が長くなっていく現象があった。

そうしているうちにデジャブは、まったく見なくなった。

そのかわりこのイメージ現象がはじまった。


この現象の変化は、また訪れるかもしれない。

2008年7月16日水曜日

1/2

どんなに想定された物事でも

実際、結果は1/2の確率だ。

そうなったか、ならなかったか

計算上の確率が 90% 20%でも

0% 100%でないかぎり

結果は、FIFTY FIFTYなのだ。

そう思うと、運任せになると思うかもしれないが

そうではなく、


けして「絶対はない。」といいたい


それを頭にいれておけば

対処も落胆感も減るのではないかと考える。

そう思えば、前に進みやすくなるかと考える。

明日の天気の良さも50:50

落ち込んで日の次の日の朝の気分も50:50

今日生きているのも 50:50

そう思い、毎日をきざんでいこう

2008年7月8日火曜日

想像と結果

何事もイメージして行動すると思うが、

イメージ通りに運ばないことが

おおかったりする。

仕事においては、リスクを考え行動するため、

その対策をいくつもたてておくので、

さほど影響がない現象であるが

プライベートにおいては、

そこまで考えていることが少なく

心に対して、影響は大きかったりする。


原因は、自分、相手、外的要因と様々


でも、ここで

ひとつだけ言えることは、

想像した結果が、悪いものだとしても

それを怠ったら結果はでないということだ。


例にだすと


宝くじは当たらないと思い

買わなければ、その可能性は0であり、

当たらないと思っていても

買った瞬間から可能性は0ではなくなる

といった感じだ。


先日、部下をつれて飲みにいった。

いわゆる私が、社交的、立場的にその行動をとったほうが

よいと考え、乗る気はなかったが、

プライベートの時間をさいて、飲みに行ったというわけだ。


結果


想像よりも悪いものでもなかった。

色々な話もきけたし、

もちろんお決まりの愚痴や不満もでたが

話してくれるということは、

多分、これを素晴らしいことというのだろうなと感じた。


このことから

今、感情が欠落している私は、

好きなこともない。

これに関して悲観的なイメージをもってはいないが、

私の実質的な行動として

「好きなことがないから、何もしない」

というのは、

まさしく、当たらないから宝くじを買わないに相当する。

少し、アクティブにいろいろ試しに

やってみるのもよいと感じた

2008年6月30日月曜日

感じるままに

梅雨に入り、雨の毎日

今日も雨だった。

普段、家でお酒を飲まない私は

飲んでみようかと思い立った。

なぜか

そんなのは、問題ではない。

思い立ったことをまずやってみることは大切だと感じた。

つまみとお酒を買い家にもどる。

音楽を聴きながらだらだらと飲む。

やはり、一人では酔えないものだなと思いペースを上げた。

酔っ払ったのかどうかわからない。

話す対象物もないのであまり判断がつかない。

そこに達成感はなかった。

口のあの違和感が残っただけだった。


そして、達成感で思い出した。


最近、達成感にちかい感覚をおぼえたのだが

どうもなんであったか思い出せない。

BLOGをみて、これだってわかった。

ある曲探しだった。

そしてその曲をながしてみる。

いい曲だと思うしまた聴きたいとも思う曲だったが

達成感に近い感覚が思い出せない。

たしかここちよかった。

BLOGをみればそれがわかる。

多分、この文面をみるかぎり達成感を感じている。


なぜ 思い出せない。

でも

なぜを今おいかけても到底たどりつけるものでは

ないことはもう知っている。

ふと

電車でみた文面を思い出す

「雨の日。今日もいい天気だ。植物が喜んでいる」

この前向きな言葉は、コミカルにかかれてあったが印象的だった

少し、自分を見るのをやめて 時間をおいてまた自分をみるのもいいかもしれないと感じた

先日とどいたハーブが雨にぬれている。

それを眺めながら、また明日から毎日を繰り返してみようと感じた。

病気については、病院だけし、自分との対話を少し断とう

2008年6月26日木曜日

食す

昨日、病院にいってきた。

朝、目覚めていかないとという衝動に駆られたからだ。

インスピレーションは、大事にしたい。

市役所への申請もあるので丁度よかったかもしれない。


病院に到着したが込んでいたせいか、あまり話す時間もなかった。

症状がかわらないことを話、

今は、何をするにも、行動に普通ならどう思うかを考え、感情を当てはめて、

生活していることを伝えた。

いぜんとして、飛んでしまう記憶については、生活に悪影響がないので

処置は悪影響がでてからということだった。

ちなみに、市への申請する紙は、

しらない間に、記入されていた。

印鑑までおされていたから

まるで小人が住んでいるように感じた。

最後に体重の話になった。

前回、計った時、5/24で64.5k(全裸)

一ヵ月たってとどうなったかということだ。

6/25時点 結果 63k(服をきて64弱)

まるでダイエットしているみたいだ。

別に目的がダイエットではないため

いい結果とはいえないだろう。

帰りに、病院から意見書をもらった。

うつ病とかかれていた。

うつ病詳細欄のすべてにチェックがついていた

うつ病と診断されていることには、

少し疑問をもった。うつ病の自覚はない。

また、解離性障害もかかれており

トラウマから来ていると書かれていた。

その原因は、継母と祖母であることも書かれていた。


病院をあとにし、市役所によって手続きを完了されたあと、

一度めいいっぱい食べてみようと思い

ラーメンセット(丼+ラーメン+野菜)を食べてみた。

野菜もついていたので、悪くはないと判断した。

かなりの量だった食べれないことは、なかった。

吐き気もなく、すんなり食べれた。

問題はこのあとだ。

口の中の肉が腫れ上がってしまった。

口の中では、肉が歯を押している状態

しゃべると確実に肉を噛んでいることだろう。

口をふさいでいることに力がいるぐらいだ

体は、嫌がっているのだろうか

常に口になにか入っている感覚が

あまりにも快くないもので帰って寝た。

起きると21時を回っていたが

口の中の違和感と満腹感がなくならないので

シャワーを浴び、薬をのんで寝た。

自分が思ってないことでも

体が拒絶しているということが

あるのだろうか

口の中の違和感は、いまもまだあり

食す欲望に、さらに興味がなくなった。

2008年6月22日日曜日

かけら

今日はみつからなかった。

かけら

いつも見つけるようにしている

かけら

ベッドに身をあずけても

眠りも不安も喜びも生まない

そして、そんな状態でもいつもは少しだけみえる

かけら

今日は見つからなかった。

みつからない時は、時間の流れが鉛のように思え

雨の音と一緒に溶け込みたいと思える

かけら

1つでいいから 拾わせておくれ

2008年6月18日水曜日

終わりなき終わり

幼女連続殺人事件

私の世代でこれを覚えてない人は、まずいないだろう

昨日、死刑が執行された。

ニュースでは、執行が早いとかかれてあった。

この人物について多くは語らないが

執行まで早い

というところに、びっくりした。

私からしたら 遅い としか思えないからだ

趣味的、快楽的犯罪は、更生率が悪いことは
明らかに分析され、わかっている。

それを適応しないなら分析する意味がない。

それをいまさら報道で、いままで反省を示さなかった
など、この人物にとって当たり前のことを
みている世の中に対して、極悪役だと煽っているだけにか思えなかった。

あえていうことでもないだろう。くだらない。

なのに死刑執行が早いなどといっているところが滑稽だ。

わたしは、

被害者にあたえられた命との決別の執行まで 数秒
加害者にあたえあれた命との決別の執行まで 年

どうおもうだろうか。

わたしは、仮に彼が病気であっても
判断能力がなくともそのまま死刑執行かと考えていた。

終身刑が一番の刑だと思うが、
税金が使われていると思うと納得もいかない。

外的要素については、以前(事件発生時)は
もっていたビデオや本などの影響が・・・
といった報道がされていたが、
実際は、普通のビデオもたくさん所持しており
外的要素が大きなものをもっていたとは思えない。
(むしろ報道に問題があるとも思う。)

人権をと 唱える人もいるが
人が人を裁くしかない制度自体
すでに人権は損なわれていると思っているので
あまり納得感を覚えない。


とどのつまりは


彼は、この時代にいきる人ではなかった。


この時代のレベルでは、けして越えてはいけない線を
越えていたのだ


と感じている。

それらが、執行が遅いと感じさせる要因だった


さて、ここで事件というか、死刑にあたって書いてきたが

私も人のことは言えない。

ただ、現代で死刑に値しない

というだけで、別時代であれば

すでに死刑になっていた人物かもしれない。

モラルというものが別に存在すると思うが

「Natural Born」的なものは、

あとは、そのとき生まれた時代にゆだねられる。


そう考えさせるこの事件は、私的観点で

まさに終わりなき終わりを見せた

事件であった。

2008年6月16日月曜日

わかるということ

わかるということは、2種類。

情報により理解すること

情報がないけど把握できるということ

前者はいうまでもないが、

後者は、「勘」みたいなものだ。
(コールドリーディングは別とする)

完全に把握はしてないものの後者において

私自身異例なほど、大きい意味をもつ。

前にもここで述べたことがあるのだが、

時に昼でも夜でも場所、意識をとわず

頭に3Dの画像が入ってくる。

当たるというより、こうなるであろうことが

予測よりも大きく分かってしまっていることが

多い。そしてそれは実現する。

短時間で起きるものと

いつ起こるかわからないものまである。


もちろん仕事では、有意義に使わせてもらっている。


では、私生活ではどうだろうか。


もし、他人のことであれば、

あえて、公言しないことにしている。

あまりに悪いことであれば、助言はするが
それは、極めて、例外。

人は、公言する(される)ことにより

それに近づこうとする傾向がある。

たとえば、木々の影

心霊写真と言われてみせられると

まさにそれが人の顔みえてしまうといったのは、それだ。

人間は、自分がしっている、または、できるものに

当てはめて、考え、行動するようにできている。

だから 言わない。


自分自身にとってのものは、

良いものは、自然としてればそうなることが

わかっているので何もしない。

悪いものについては、現実化しないように

行動をとっているが

避けられる場合とやっぱり直面する場合

FIFTY FIFTYだ。

良し、悪しきかかわらず、この状態を

あえて人には、伝えないが

伝えるときは、

「いずれわかるよ」

としかいわない。それは、やっぱり

100%ではないということと

公言したことによって、人はまた

その傾向に近づこうととするからだ。


こんなこと信じますか?

信じれないのが普通。

信じるほうが異常かもしれない。


ただ、身に起きている人にとっては

結構、苦しいものだったりする。

わかるということは、常に過去形であってほしい。

2008年6月11日水曜日

忘れないもの

そう。

忘れてはいけないものが僕にはあった。

でも自信がなかった。

だからPCにそのことは、探すように

貼られていていた


2月末ごろ3月初めか

TSUTAYAで流れた1曲。

聞いたことがない曲だった。

妻とは一緒にいたが、別々のコーナーにいた。

そして、そこ曲がおわると

二人して、いまの曲なんだろ。

歌詞、気になるといって、探していた。

そのことは、あれからずっと

「疑問形だらけの歌詞」

「罪をくりかえす」

「男性」

それだけをキーワードに探していた。

時間があいたら、いろんな角度でさがした。


それを今日、発見した。


簡単にみつかるわけなかった。

あるアルバムの最後の曲。

しかもあるバンドのボーカルのソロ活動開始の1枚だった。

そして普段は絶対にきかないバンドの人でもあった。

ひさしぶりの達成感があった。

仕事でもこれは味わってない。

そう味があった。

仕事は形だけどんどん作られるだけだ。

この作業は、味があった。

もう何もかも終わってもいいぐらい。

女々しい性格だろうか

ちいさなやつだろうか

ちっぽけなことだろうか

何をいわれてもいい。

今日はこの曲をずっと流しておこう。

2008年6月10日火曜日

Delete

週末、頭痛と熱で過ごした。

睡眠と水分摂取の2つの行動しかとっていない。


風邪のわりには、少しかわった感覚だった


眼を閉じれば数多な映像

眼をあければゆがんだ現実


注目すべきは、数多な映像


不可思議なものだった

怪物がでるとか、そういう不可思議ではない

うまく表現できないが


並行的に進んでいる現実の中にいる自分達を見届けている感じ。


その並行現実の多さが莫大なもので

探っては見て、振り返っては見て・・・

そういう夢が眼を閉じるたびに訪れる。


日曜の午後、熱もひき、2日前のおにぎりをたべる。


普段と違和感はないが

何かが削除されたような感じだった。

2008年6月6日金曜日

無機質な箱には植物を

痛烈な頭痛は、すぎさった

日に当たるだけで、バットで殴られたような頭痛

病院にいって薬もらって正解だった。

さて、明日は土曜。


洗濯とアイロンをする日だ。


思いかえすと

僕にとって、

結構 いい感じの時間かもしれない。

週末は、アイロンの山だ。

音楽をききつつ、アイロンかけている時間は

歌いつつ、シャツを眺めつつ

いい時間をすごしているといえる。

そして、何かたりないかなと思ったのは

植物だ。

こういう発想はあんまりなかったが

この無機質な箱に植物を育てることにしようと思う。

目当ては、ハーブゼラニウム

蚊を寄せ付けないという実用的な感じ

これを買って、育ててみようと思う。

なにかの対象にはなるだろう。

2008年6月4日水曜日

久しぶりの再会+医者とのセッション

土曜から、後頭部にはしる頭痛は

今朝、最高潮を迎えた。

会社は断念し、病院にいくことにした。

病院が、離れた家に近いということもあり

書類等の関係で、ひさしぶりに

妻に会うことになった。

病院の待合室であった。

相手は、驚いていたようだが、
(僕の容姿が変わっていたため)

僕はさして驚かなかった。

気がついたことを言えば、

泣いていた影が薄くなっていいたこと

より美しくなったこと
(彼女を知人は、知っていると思うが妻は美人だ。お世辞でなく)

そして、私をサーチしていたこと

たぶんこのサーチは、話すきっかけのため

やっていたのだろう。悪意というか詮索という意味ではなかった。

離れた効果はあったのだなと思った。

サーチしているところにネクレスのことを言われた。

実は、このネクレスは、僕からも何かのタイミングで

話そうと思ったので、そこは、少し驚いた。

言いにくいところもあったので・・・


引っ越しして少したって出てきた


チェーンがない このネクレス


みたことなかった。忘れていたのかもしれない。

そこは否定できない。

不思議ではあったけど。模様も嫌いではなかったので、チェーンを買い

身につけることにした。何かの縁かと思って

しかし縁とかではないのかもしれない。

このネクレス。

知らない人に話すと恥ずかしいのだが

握ると妙に落ち着く。

つけていると、霊的存在がちかよってこない。

ということがわかった。

なぜかはわからないが生活の中で少し便利なものになっている

この間 車にひかれたときも 怪我1つなかった。

あまり確証もないものを信じてもしかたがないが

効果があるという気持ちをもつのは前向きな姿勢かと思うので

これからもつけているだろう。


容姿については、先生にも指摘された。

前回3月に身体検査したときより

この間部旅行にいった5月の差が5Kあったからだ

そんなにびっくりすることはないと思ったが

医者からみると よくないとのことだった。

自分的には このままあと5kほどへってほしいものだと思っているが

急激はよろしくないということであった。

あと、したいこと、たのしいこと等、すなわち3大欲の欠乏については

以前かわりなく継続していると話した。

ただ、

頭痛がひどくなっているのは、いい傾向かもしれない

ということであった。

脳の内部でなにかおきているのかもしれない。

切り替えが今までみたいにうまくいかず

その頭痛は、きりかわるときに起きているものかもしれない

ということであった。

生活に実害がないということと

前とは違うという面でいい方向かもしれないと判断したみたいだ

ただこれでは、仕事に差し支えるので

薬をもらった。

診察がおわり、帰りに妻に 帰る?

ときかれたが、このあとのカウンセリングのこともあると思い

そのまま帰ることにした。

たぶん 話に困っていたのは、おれのほうだからだと思う。


会って みたときから 何をはなしていいものか

混乱していた。

話すことはたくさんあるのだろうけど

頭痛も+してどれを話していいものか

わからなくなってしまったのだ。

僕にとって、そのことが今日一番の発見であり

事実として受け止めなければならない現実だった。

2008年6月3日火曜日

目覚めの風景

食べかけのおにぎり

ある記事を示したブラウザ

のみかけのコーラ

ふせてある鏡

たたまれたメガネ

あらわれた食器


その光景は、まさしく現実で

実際に起こした行動の証であり

僕の記憶にないものだった。

2008年5月28日水曜日

物事の流れしもの

物事の流れしもの

その様々な背景はあれど

要所を経て流れゆく

要所なし流れは、その勢いの枷となり

要所ある流れは、その勢いの糧になる

流れの先 海か湖か はたまた水たまりか

そこに大きな差異は、なし

差異は、その要所にかぎる



流れゆく生活の中、愛し人は

今までの経緯に大切な点をみつけ理解し

また、これからもその要所をとらえようと

勢いがついてきているようだ。


まだ、この先 どうなるかわからないが、

離れくらすことには、なにかしらの意味があったようだ。


点が線にかわったように感じた

2008年5月20日火曜日

支えと努力

今、支えになっているものは

なんだろうか。

支えになっているのは

ローンだったりする。

このローンが、ちゃんと払えれば

嫁、息子達の雨風を防げるのだ。

立場的に守る立場にいることはわかっているが

現状、できていないというのが全てだ。

できることは、ローンを払うこと。

今はそれが支えとなっている。

あえて、支えが家族とかかなかった理由がある。

それは、


家族とよべる資格が僕にあるのか


ということだ。

僕は、育ててきてくれた家族を捨てた。

いとも簡単に、まるで、燃えるごみの日がやってきたかのように

そこの悲しみとかくるしみとかあったのかすらわからない。

家族の名前すら曖昧だ。


これを読んだ人は、

僕のことを非情と考えるだろう。


正解だ。


僕は、非情であり、やさしさ、ぬくもりというものは、もっていない。

嫁にも面とむかって言われた。もちろん否定していない。

そんな僕に家族というものが、ついてくるだろうか?


僕についてきた結果

悲しみを生み、傷を負わせ、旦那として父親として何もできなかった。

けして、ネガティブ思考でいっているわけではない。

分析した結果そうなのだ。


嫁はいった。


あなたは、悪くない。環境がそうさせた。


言っている意味はわかるが

結果、僕がもたらしたことに変わりはない。


さて、これからどうするかわからない。

償うか

どうにかして戻って、また違う傷あたえないように気をつけるか

幸せな家庭になるように見守るか

まだ、よくわからない。

ただ、嫁と同意見で言えることが、1つある。

僕は、僕の病気を治す努力をしないといけない。

感情がなく、好きなこともわからず、記憶もあいまいな ” もの ” は、

機械にすらおとる。

まずは、人して形成していこう。

2008年5月19日月曜日

一夜


みんな僕に気付かず、

さけべど こだまするだけ

もうさけぶのをやめる


二夜

どうやら妊娠したようだ。

僕はうれしかった

ただ、その子供には僕の遺伝子ではないことが

わかっていた。

うれしそうにしている彼女に

否定の顔をすることができなかった。


三夜

責められる

濁ったその顔は、はっきりとせず

ただただ責められる。

それに否定できない僕がいる。

なぐられ蹴られ、

それを理解したかのように僕は、受け入れる


四夜

僕は、首をしめていた。

相手はわからない。

動脈を感覚がここちよい。

くるしげに発する声は歓喜に聞こえた。


五夜

裁判の結果

無期懲役になった。

何をしたかは知らない。

僕は、裁判官に死刑を哀願した。

一言、裁判官はいった。

償え

ある日

考えてた。


一体 なにをしたらいいか。


振り返れば狭い部屋1つ

寝ころんだら広い空間1つ

誰もいない

誰も来ない

僕もいない

快楽も不快もない

PCのファンだけ回る音だけが

聞こえている。


ただ、生としているだけだ。


テレビもつけず

音楽もきかず

NETもせず


一体 なにをしたらいいか。


仕事中、僕は物を忘れたりはしない。

業務もこなし、忘れずにやる。

ただ、生活面においては違うようだ。

今、一人だから気付かないだけで

忘却は、侵食しているかもしれない。

確認してくれる人もいない。


一体 なにをしたらいいか。


ネガティブでもなく

ポジティブでもない

なんとなくいる。


生きるということは探さば難しいものだ。

放置しておけば、時は流れ、生でいられるが

その時間は、なんとなく いるしかないのだ。


一体 なにをしたらいいか。


その答えは、誰もわからない。

2008年5月18日日曜日

病院

9:15受付のため30分前に到着

しかし誰も来ない。

今日は、休みかもしれない。

結局 9:15になっても誰も来ず

帰ろうと思った瞬間、扉は開いた。


最近どうと聞かれ


わかりません。


僕にとってはそれが一番当てはまる回答だと思った


好きなことは?

つらいですか?

くるしいですか?

こわいですか?


全ての答えは同じ。


わかりせん。


2つだけ伝えた。


僕は、忘れていることがおおい。

僕は、友の作り方も忘れてしまった。


薬をもらい、かえった。


もう春だな・・・

2008年5月14日水曜日

忘却の波

昨日 電話で連絡をうけて

普段、気にしていなかったが、

ふっと思ったこと


親の名前


完全に忘れていた。

顔を思い浮かべるが

ピントがずれたプロマイドみたいで

よくわからない。

兄弟の名前も忘れていたが

聞くのは親の名前にだけにしておいた。


僕の記憶はどこまで正しいのだろう。


しかし、そんなこと追うべきではないな。

そして、今 ふと思った。

電話は実際にあったんだろうか

発信、着信履歴をみてホッとする

では、

電話はいつ、どのタイミングできれたんだろう。

話した内容は、最近の話題だったとおもう。

どんな展開だったのか。

また、傷つけて終わったのか

それとも重要なことを話して終わったのか



全ては、忘却の波へ

2008年5月12日月曜日

不安を食べる

単なるお話程度で気を紛らわそうと

と思い、チャットをしてみた。

そして

なぜそうなったか

いつのまにか、そこは、私が相手をする相談所なりかわっていた。

私は、そうそう切り上げやめてしまった。


悪夢を食べるバクという架空の動物がいる

私は、人の不安を食べて生きているんだろうか


食べても食べてもなくならない次から次へと嵩を増す人の不安。

それを食べていきている自分。

しかし、これには、大きな副作用がある

まず、食べすぎると自分自身が崩壊する

そして、食べられた人は、また食べてほしいとより大きな不安をもってくる。


この2点は悪循環を生む。


相手、自分ともども大きな傷を負い崩壊する。


それを恐れ、チャットを切り上げた

今の自分は、余裕がないからだ。

いや、余裕があってもやってはいけない。

過去どれほどまでの人を崩壊させたかわからない。


ただ なぜ集まるのか わからない。

彼らは、なぜ私に向かってくるのだろうか?

自ら、欲しているのだろうか?

結果を知っているのに?

自らが望んでいるのか?

また 一歩 人から遠ざかる

もう誰も傷つく必要などない。

この展開をポジティブにすることは難しい。

眠れない日が続く中

つめたい

とつぶやいた私がいた。

2008年5月7日水曜日

おさらい

祖母の何回忌か忘れたが

お坊さんが、説法で、こう言った。

「これは、故人のためだけではなく、故人の縁の
 集りの場でもある。縁というものは
 そういうものだ

そうか

まったくもってそう思う。

私の祖母の縁は、そこにあった。

もう10年以上たつが集まる縁。

うわべだけの人達は、消えうせた。


私は、無信仰だ。

なので、葬儀、戒名はおろか

骨になったら

うちくだいて、そこらへんに

おいてもらえればそれでかまわない。

死に美意識を感じないし、

残ったお金があるならば、

生きた人間に使ってほしい。

墓は、嫌悪感が募っているためか

いれてほしくない。


今、死にたいとは思っていないが

生とて同等である私は、残った人たちへの

配慮にかける発言をしている。

しかし、残った人たちは

悲しみだけでは、生活がなりたたない

生きているから、その先がある。

死んだものは、悲しいが、先がないのだ。


そして、おさらいする



それは大切なもの

見えないものでつながっている。

相手が故人であろうがつながっているのだ。

私は、それに着眼したい。

ひとりでもいい。

もし、自分自身が故人となり

10年がすぎ

私の縁を感じてくれる人がいるなら

私は、生きてよかったと感じるのであろう。


私は、その縁を

まず自分にみつけなければ、ならない。

私と僕たちを繋ぐ縁。


私が勝手に作り出した僕たち

ごめんなさい。

私をとりまく人達

ごめんなさい。


まず、私は、僕らと手を取り合おう。

そして、私にとりまく人達に

謝罪がしたい。

2008年5月6日火曜日

はじめ と おわり

さんさんと照る太陽

雲ひとつない空

ここちよい風

これらを僕はどうしたらいいのか

わからなった。

もし始まりがあるとした

こんな感じなのかな

もし終わりがあるとした

こんな感じなのかな

2008年5月5日月曜日

子達

今日は 子供たちをつれて

映画にいってきた。

そのあと、G/Wで無料遊園地に

なっているところをしっていたので

いってみた。

3時間 そこから離れようとしない

子供はすごい速さで環境で

なれ、自分のものにしている。

感心するばかりだ。

勉強させられるのはこっちだな。

部屋に帰って、

その部屋がせまいことを知ると

それにも慣れてしまうのか

飲み込みが早いのか

はじめは、狭い狭いといっていたが

今はベットを占領して

今は、ぐーぐー寝ている。

今夜は ねれなそうだ。

それもわるくないか。

素晴らしい子供たちよ

気持ちはわすれないでくれ。

環境を飲み込んで自分のものにする

その素敵な能力を忘れないでおくれよ。

もうひとつ、感触をもらった。

会話で

これは言ってはいけないんだけどね

っていうのが子供なのかあった。

言ってはいけないことを

伝えてから、言うのだ。

ここは、本当のおかしかった。

すくすく育っているが、まだ子供だな

最近おかしかったことがなかったので

びさしぶりに覚えた感触だった。

ありがとう。子供たちよ。

うれしいよ。

2008年5月3日土曜日

作り方

忘れてしまった

今まで

どうして

来たのだろう

その前に

基準も忘れてしまった

思い出そう

これは

考えても生まれそうにない



自分

禍々しさ



愛おしさ

枯渇



意味不明

相手







自分



循環

2008年5月2日金曜日

誕生日

おめでとう

その言葉が

こんなにもつらいものは

思わなかった。


生まれれて おめでとう


悪しき魂 宿りし面をもつ粘土

2008年5月1日木曜日

鳴る

携帯のアラームがなる


午前2時


携帯のアラームがなる


午前4時


携帯のアラームがなる


午前7時半


僕はゆっくりと体を起こし

ゆっくりと支度をする。

出かけ前

誰が設定したかわからない

携帯のアラーム設定を削除し

会社に向かう

おはよう

こころにつぶやく。

2008年4月30日水曜日

必要性

それは、対外的なものであり

自己のものとはちがう。


すなわち 自己価値=必要性ではない。


似てそうだが違うものだ。


必要性とは、

他が認める、求めるものであり

己が認めるもの、求めるものではない。

だから、私は、気にしない

そして、それがあったとしてもなくても

歓喜も憂うこともない。

それは他にとっての自分だからだ。

私は、私を見つめたい。

そう まだ私は、他の私でしかない

私は私になりたいのだ。

他が求めるのではなく、私自身になりたいのだ。

その私になる時を

待つのではなく

向かっていこうと思う。

2008年4月27日日曜日

排除と共鳴

私は排除して生きてきた。


私に関心をもたない人は、

私は近づかない。

私を邪険するものは

私は、追わない。

この排除方法は、的確で楽だ。


過去、私は、八方美人だった。

誰にも嫌われなくないし

誰でも楽しくやりたかった。

でも、それは理想であり、現実には

そうはいかない。

そこに自責を感じてしまっていた。

そして、薄っぺらな関係は

大きなものを生むわけでもなかった。


だから、考え方をかえた。

私は、排除する

関係ないものはすべて排除する。

いらないでしょ?

重要じゃないでしょ?

自分を他にみせる人は

限られた人だけでいい。


ただ、その逆

そう関係するものには、

強く共鳴する。

ただ、私は下手なのだ。

その伝え方、考慮の仕方、近づき方

全てにおいて下手だ。

私が下手といっているもの全ては、

相手に非がない。

ただただ、私のやり方がまずいのだ。

まったくもって自分のことだが閉口するばかりだ。


今、大事な人さえもどうすることもできない。

何をいっても伝わらない。

それは、相手のせいではない。

どう考えてもうまくいかない

それは相手のせいではない

ちかずけば傷つける。

それも相手のせいではない

からまわりは、悪循環を生む。

1000手先を考えても、先はみえず

今は、ただ見守ることだけしかできない。

無力

頭の上に落ちつづける この岩には抵抗できない

転換

G/Wの行方がまだみえない。

昨日も今日も仕事。

明日は、早出。

どんどん過酷になっている仕事。

しかし どうだろ

あまり疲れはない。

むしろ安心しているのかもしれない。

働いた分 跳ね返ってくるから

もっともっと過酷にならないかなと

望んでいるのかもしれない。


いま 経済的に余裕があるわけではない。

会社にいると 電気、水もつかわないし

余計なこと考えないし、給料をもらえる。

合理的に考えるとこれは、とてもいい環境だ。

そう転換して

今日もすすもう。

2008年4月25日金曜日

変化

状況の変化とは、ほとほと勘違いされるものだ。


仕事がかわったり

家がかわったり

人がいなくなったり加わったり


これだけでは、状況が変化したとは

いえない。

とりまく環境が変わっただけである。

環境がかわったても、状況がかわらないことは

多々あることであり。

仕事がかわってもその場に溶け込み

荷もなく仕事をこなしている人なんて

多くいる。

これは環境が変化しただけで状況は

変わっていないことを指す。


状況の変化とは常に心構えとセットになる。

仕事がかわったり

家がかわったり

人がいなくなったり加わったり

これらの例えに身を置かれた時、

状況がかわらない、かわった

と感じているのは、

心構えが変わらない、変わったというべきだ。


今回わたしは、住む環境がかわった。

ここには、状況の変化はない。

しかし、何かを決意した時それは

状況の変化といえるだろう。

そして、私は、決意している。

今まで幾度とも人を壊してきた

意図せず、意識せず、壊し続けてきた。

ここで、私の決意は

これ以上、人を壊さないことではない。

もしここで、壊さないことに決意すれば、

私は、まったく人に接しなくなるか

その自分を作り上げてしまう結果になることは

過去をみても明らかだからだ。

私の決意とは、壊してきた自分を

意識してとらえることだ。


違いがわらからないと思われるが

私にとって、多々の自分をもち

どうしても破壊の道を歩んでしまうという事実

がある以上、私は、私を把握しなければ、

その根源たるもんは消えないだろう。

今、状況は変化している。


もちろん結果どうなるかは

期待もなにもしていない。

その結果は事実として受け止めよう

2008年4月23日水曜日

楽でいいね

その言葉は、当たっている。

感情、欲がなければ

実際、楽なのである。

仮定の話ではなく、身をもってそう感じる。

苦もなく楽もない。

ただ、事実と計画と過程と結果をこなすだけ

楽にやっていけるのである。

しかし、その代償も大きい。

いわゆる楽しみ、感動とかの

ストレスの発散や人間味も

同時になくしてしまうからだ。

自分だけならまだしも他者のそれを

感じることも薄れてくる。

その結果、人間関係にはおおきな波紋を呼ぶ。

そんなには、都合良くできていない。

生物として欠如している状態

まずは、いきもの に・・・

当面それが目標だろう。

うずまく世界

降り続けている雨は

止むどころか強く激しく

とどまることはしらず。

形どった建物はしずみ

芽は、ながれくる水と一緒に土にかえる


窓をあけると燦々と日が差している

どうか私もその中にいれてほしい。

冷たく凍えそうな世界からみえる

その光景は、まぶしく輝いている。

全身に打たれる水の槍は

けして、その世界への扉を開かせてくれない

2008年4月22日火曜日

振りかざした手

頭上たかく上げた腕は

架空なもの

握りしめた拳は

妄想

振り下ろされる相手は自分

それは現実

2008年4月19日土曜日

電話鳴る

電話をとると弱々しい声が流れた。

そこには、とても音声だけでは

伝えきれないすべてのものを用意されていた。

私は、それに対応できるものを

もっていなかった。

なぜなら、

私が、発する一言一言を

彼女は、パーツして組み立ててしまうことが

こわいからだ。

その組みあがったものを見て安心感を

瞬間的に創造しても、

明日になるとそのパーツは消え

不安感、孤独感をより一層煽ることになのが

わかっている。

だから、手段として電話でこう伝えることしかできなかった。


おれではなく、自分を心配して


私には、それしかできなかった。

無力さを覚えた土曜の夜だった。

2008年4月18日金曜日

行方

そもそも なぜ という議題は、

物事、現象に関して問うべきであり

その存在自体に問うてはいけない


「象」事態の生態を問うのはよいが

「象」がなぜいるか

その答えは、「象」にもわからないのである。


私は、昔、それを自問自答した。

自分という概念より

宇宙としての人類の意味

そしてその中の1つである私の意味

文献をあさるが、

信仰、説をのぞくと

明確な答えなぞ載っていない。

信仰、説は、人が作り出した

ある思考のかたまりであり、答えではない。

いわゆる真理ではないのだ。

そこで、私が感じたのは、

私事態、意味がなさないものであるなら

私は、いてもいなくてもよいのではないか

ということだ。

多分、絶対的観点だと

この答えは、はずれではないと思う。

ただ、相対的に考えるとまた違ってくる。

人が求めている自分

自分が求めている自分

それらをとりまく環境。

そして、未知な領域

つまり未来求められるかもしれない自分

これらは考慮するものであり、

ふまえると価値とは、前者とは違う意味で確立する。


存在しているからこそ

未来永劫出てくるこの議題は

取り上げると体力、気力だけを消耗させる。

つまり簡単にいうと

考えるのには、もったいないということだ。


存在がある以上、自分自身も含め何かよって

その価値はある。

時には正、時には負に感じることがあってもだ。

その価値は、どちらとて意味があるのだ。

また、価値とは、考えて作り上げるものではなく

つくりあげられている場合も多い。

それを利用するといったこともできる。

価値とは多角的に見通さなければ、成り立たない。

その行方をきめるのは

自分自身であるということも感じている。

2008年4月17日木曜日

雨は嫌いだ。

服はぬれるし、傘はささないといけない。

しかし、好きでもある。

それは傘を忘れて濡れて帰っているとき

そう思わせる。

抵抗をやめ、そのまま雨をうけ

ほほを伝う雨は、枯れた涙も思い出させる

飽和した空気が心を包んでくれる

汚れた自身を洗い流してくれる気がする


抵抗。


それは不自然な動きなのかもしれない。

自然にうけとめ感じることが

大切なんだ。

2008年4月16日水曜日

誇るということ

自分を誇れる人

私は、少し視点が違うようだ。

誇るとは、第3者が他人を感じるものだと

思っている。


今、私は誇りにおもっている人がいる。

毎日その人のブログを

幾度もみてるが山あり谷あり

またその環境は、突然やってきたもので

それでも1歩1歩確実にすすんでいる。

それが、時には、後退しているようにみえても

前進している。

私は、まだスタートにもたつこともできずに

いるのに

弱いと言っているその人は、

実は大きな芯をもっている。

それを私はしっている。

感心ばかりはしてられない。

今、私は、病院にいっている。

先生との会話にその人のことは、一切でなくなった。

私は私の病気に専念しろということだろう。

最近、問診時間も長くなり、

先生も分析しているようだ。

治すところまでいけるかどうかは知らない。

ただ、私は、私たちんの中、

またはちがうところにいる

私をさがしだそう。

誇れるあなたを見ながら

2008年4月15日火曜日

激励

血がたりない

肉をたべることにした。

血が薄い

ほうれん草をとる。

体調管理しないと仕事もできない。

集中しろ

摂取すれば動ける。

さー 今 足りないものを取り込め

俺の体だ。

いうことききやがれ。

まだまだいけるはずだ。


病院いったら、眠剤が増えた。

ということは、それでまだいけると

俺は判断する。

悪夢の話をした。

それは病気への闘いの

過程であり、見るしかないと言われた。


そうか、ならば目をそむけない。

こい

どんどんこい

今の俺は、何も怖くない

転がって、立ってふっとんで、

足元すくわれて、頭かちわっても

俺はいける。

俺はまだいける

まだ スタートしたばっかりだ

さー まような

立ち向かえ

貧血

本日

体調がおもわしくないため

いつもの病院にいった。

帰り、気持ちが悪くなり

瞳孔がひらきっぱなしに気づいた

まぶしい。

何もかも

光であらゆる文字がみえず

なんとか帰り着いた14時。

横になって起きたら0時。

これが貧血かと思い知らされた。

まだまだ大丈夫

こんなのに負けてられない。

2008年4月13日日曜日

寒い

どうやら この部屋の扉は

隠すことしか機能していない

電気を消せばわかる

四方から外の光が中にこぼれている。


寒い。


しかし、この寒さは

気温だけではなかろう

凍えそうだ。

きこえてくるのは、

PCのファンの音と

歯が高速に当たる音

どこにもとどきそうもない

音にならない声を

あげ丸くなる

2008年4月12日土曜日

休暇

仕事がない土日は

途方に暮れる

外にいけば

否応なく、他者の

笑顔に出会う。

今はそれを眼の中にいれたくない。

思考を停止する。

2008年4月9日水曜日

ラインを越えて

越えることが可能か不可能かは

各々自身が大抵わかっている。

するかしないかは、本人の意識ちがい


私はうしろを振り向かない。

起きてしまったことを

都度考えても

起きてしまったことは

けして変化しないからだ。

さらに私の場合は、うしろは闇

わかっているから尚更 振り向けない。

うしろに変化はない。

しかし前には変化がある。

ならば変化を求む。

今 たぶん 今までで

一番、体力をつかっている

変化には、力がいる。

どのラインを越えるかは

これから決まっていくだろう。

Fake

さらにゆけ

笑い、楽しみ、驚き

さらにゆけ

悲しみ、同情し、怒り

さらにゆけ

社会がのぞむなら全てをFakeで

2008年4月8日火曜日

想い

想いとは伝わらないことは、多々ある。

その原因は、伝える方に問題があると

私は、考える。

伝わるように伝えてないのがいけない。

言葉の選択、時系列、タイミング、相手のヒアリングのと差異

それを考慮していない。

私は、そう考える。


私は伝えきれていなかったのであろう


私は、いまある出来事から逃げて

自分のことしか考えていないと

思われている。

生活を切り詰め、残業を重ね、悪夢の毎日を送り

相手の暮らしを考えていてもだ。


環境を変えた理由は、

環境を変えることで

人は、何かをかえなければならない状態に

陥るからだ。

人間は環境適応能力をもっている。

その身をそこに置かれると

自然にその環境に適応していくのだ。

そこから生まれるアクションは、

けして意味がないものではない。

その結果どうなるかわからないが

変化することだけはたしかだ。

その変化は、侵食たるもので

当人はきづいていないケースも多々ある。

ということだ。


私には、友とよべる人がいない。

私には、親族たるものがいない。

すべて自分で切り捨てたのだ。

答えは簡単、いらないからだ。

相談、愚痴をする相手を

全てうちけしてしまったのだ。

これも簡単、必要性がないからだ。

そして、私にあったのは、私の家族だけだった。

それを断ったのだ。

これを私の身勝手というのであれば

それは伝わっていないと考える。


互い、別の病気と闘っている

私の病は、たとえ、苦しく、わが身を焦がすものでも

一人で立ち向かえるので、割愛するが


妻の病は、私がいればいるほど

改善の道を濁してしまうものだと

生活して感じていた。

私が頑張れは、相手が悪化するという

なんともいえない状況があった。

自分の無力さを知るばかりだ。

そして、さらに自分の病も悪化させる結果も

生み出すとも感じていた。

私は、考えた。

1日そこらの問題ではなく

考えていた。


二人にとって、今は苦しくとも、よりよい環境を


答えは、私が出ていくことだった。

建ったばかりのマンション、子供、犬など

できるだけ丸ごと残して

私だけ去った。

私に必要である

仕事、寝る場所、パソコン、布団だけ もらって

生活に支障はない。


今、私にできることは

あとは、我妻がこの状況下で

どのように変化をもたらすか

影ながらで見守っていくことと考えている


最後に1つこの環境化でうれしいことがあった。

妻は、妻なりの制限がありつつも他人とコンタクトをとっている。

昔はできなかったことだ。

どんな形でも、私はそれを嬉しくおもった。

ひさしぶりの感情だった。

2008年4月7日月曜日

悪夢

凶悪だった。


薬も飲んだ。生活リズムも守って寝た。


食事する家族がいた。

子供のころ家族と食事をとっている場面だ

しかし子供ではなく大人の私だった

席につくとおかずが垂れていて

服にぐっしょりついた

意図的なものだった。

にやりと笑う母

子供のころ、それがあったかどうか

知らない。覚えていない。

しかし夢の中の僕は大人だった。

そこからが地獄だ。

僕は暴走し始めた。

母がどんどんくずれていく姿をみて

おかしくたまらなかった。

血がおいしくてたまらなかった。

そして起きた。


鏡をみる。

僕がいた。悪魔の化身だ。

顔を洗った。

もとに戻っていた。

何かが解放されようとしているのか

そして、僕はまた「大丈夫」と呪文をつげ

部屋を出た。

2008年4月5日土曜日

土日

思考停止

月曜をまつ

大丈夫

平気

私は、この言葉は使わない。

大丈夫

私は、この言葉を使う。

同義でも近しい言葉でもない。

前者は、気持ちだけ体がついていってない。

後者は、全体的の安定。

そう受け取っているからだ。


そして、私は、

大丈夫?

と聞く

おそらく、その言葉は

自分自身へ向けて一番発せられている。

答えは、いつも一緒

大丈夫

だいじょうぶ

ダイジョウブ

だいJYOUBU

質問にたいする肯定の呪文こそが

私たちを育てきたのだ。

その肯定する私たちは、

もはや、私の意見をきかない。

さて、誰からきえてもらおうか

細くて折れかかっている枝を武器に

立ち向かおう。

光を放つ人

電車の中

楽しく話している人

いったい何が楽しいんだい?

途中、一人降りて行った。

笑顔で、見送る電車に残る人

その人は、口を閉ざし無口でたっている

さっきの楽しさは、どこにいったんだい?

楽しさは現実ではなく妄想だったのかい?

そして、今は現実にもどったのかい?

それとも その瞬間だけを楽しんでいるのかい?

そんなこと思いながら、電車を見渡す。

みんな大なり小なり一生懸命生きているんだな

と感じた。

それを思うと僕は消えてしまいそうだった。

俺は一生懸命いきているのだろうか

いや たぶん違う。

だからこそ、その光にうもれて消えそうなのだ。

僕にとって、

一生懸命生きる

まだ、わからないが

それがイメージできて、形になって

自ら光を放てるようになったら

そこにまた何かをみつけることができるだろう。

今は、信じていこう。

今は、沈黙とともにすすもう。

今は、焦らず、目を閉じ 時間の波に流されよう

2008年4月4日金曜日

インターネットでチャットでも

してみるかと思っても

気が乗らない。

ゲームしようかなとおもっても

気が乗らない。

近くのデパートにいって商品を見ようと思っても

気が乗らない

散歩してても

気が乗らない。


気が乗る衝動がない。


部屋に垂れ流されてる音楽をきき

水を口にいれる

のど越しを確かめて何も考えない

無理に動くこともないか。

時に流されてみる

2008年4月3日木曜日

降りる

もう降りようか

いいだろもう

誰も文句いうなよ

色々やったんだし

そんな思いが出たり出なかったり

でも、けして降りたりはしない

降りたら終わる

なにもかも

それを恐怖しているわけではないが

僕を取り巻く何もかもが

そうさせない。

それを憂うんでいるわけではない

それこそが恵まれていると感じる。

桃色に肉片からみえている骨に

実感を感じながら、進めよう

2008年4月2日水曜日

食の変化

昼は、会社なので

社会のお付き合いがあるので、変更することができないため

何も変更していなくそのまま

朝、おにぎり と 野菜ジュース

夜、おにぎり と 
350Kカロリー以内のパスタかうどん

買い物が面倒なときは、おにぎりなし
コンビニの弁当は、高価のわりに
カロリー高いので却下

といった感じか。

結構、これでいけるもんだ。


食べたい欲求がでないと簡単でよい。

動けるためのものだけ最低限とっていれば

死ぬこともなし。

逆にいえることは、

食さないということは、

死んでしまうということ

実に不便だ

2008年4月1日火曜日

区別

何事にしても

期待した結果

期待しなかった結果

があり、それに文句はいうまい。

それらは結果は、

起きるまたは、起こされることであり

元来、期待するものではないからだ。


さて、区別といった話をしよう

友人

他人

恋人

いろんな人がいるがその区別たるものを探る

何がそれを区別させているのか

話している時間か

相手の状況の把握か

対比効果か

これらは、区別するために

なんの手段にもならない。

もし、手段として用いても瞬間的に

はじまり、おわりを迎えるものばかりだ。

では、感情はどうか

それで区別しているものなのか

曖昧で、わかりずらく、伝わらず

間違えば、自分の脳髄をつらぬく

そんなものを区別の手段にもちいるか


でも、私は、今はそれしかわからない。

そして、それを持っていない。

自分に自身がないのだ。

変換ミスではない自身がないのだ。

ないのであれば、作ろう。

無くしたのであれば、とりもどそう。

この課題のため、今ここにいる。

2008年3月27日木曜日

確立

確立とは、目覚めだ。

それがわかった時、始まる。

わからなかった時間は?

けして無駄ではない。

時間がかかるの?

関係ない。始まることに意味がある。

それら時間こそが、重要といえる。

そしてわかったなら

あとは、下を見ていた顔を前に向けるだけだ

体は、おのずとついてくる。

不安は、期待へ

挫折は、希望へ

見えないものは、形として

変化していくであろう

2008年3月26日水曜日

亡くすこと

体からピキピキと

剥がれおちる何かを見ながら

ただ、歩くことしかできない。

剥がれおちらそれは、

粉になり塵になり

亡くなる。

僕のところには帰ってくることは

ないであろう。

しかし、憂うことではない。

亡くすことで何かをみつけよう

亡くすことで何かを探そう

現実になりますように。

神でもなく仏でもなく

自身に祈る

今日を生きる

今日は、そろそろ終わる。

今日も生きたな。

ひどくもなくたのしくなく

今日も生きた。

ここに意味を設けない。

意味なぞないのだから。

結果、ぼくは生きたのだ。

風がまた僕の体を吹き抜けていく。

せまい空をみながら帰路につく。

そして、明日も僕はいきるだろう。

2008年3月25日火曜日

拒絶

投稿したあと

襲う激痛

頭痛だ

あるけない

抑えれないので、眠剤を口に投げ込む

Q:最近どうですか?

A:特にないです。特にないことが問題かもしれません。

Q:寝れてはいますか?

A:はい。薬があるので、仕事で遅くなったときに飲まないと
寝れないですね。

Q:今、楽しみにしていることありますか?

A:現在という点では、ありませんね。

Q:たのしいと感じたのはいつですか?

A:忘れました。

Q:たのしいと思っていたのは、どんなことですか?

A:散歩、音楽、映画、読書、ゲームなどですね。

Q:それらは、今やっていますか?

A:ええ。やっていますが、
そこに楽しいというものはないです。

Q:坦々した日々になってますか?

A:ある意味そうですね。
これからは、自分のこの状態を
治療していきたいと考えています。
今のバランスが崩れても直接の被害がないので。

Q:バランスが崩れそうな感覚とはどういう感覚ですか?

A:伝えづらいですが、自らからいろんなものが
ぱきぱきと、剥がれおちていくようなイメージです。

Q:過去のことが今の状態を引き出していることは
たしかだと思いますが、
いつから、その感情はなくなりましたか?

A:わかりません。

Q:今年からですか?

A:いえ、もっと前かと思います。

Q:記憶は、どうでしょう?

A:ときどき抜けます。
第3者がみてないとわからないことも
ありますので正確には言えません。

Q:仕事上問題ありますか?

A:いえ、それはないです。
記憶だけで仕事しているわけではないので。
ただ、昔のことから考えると
怒りがkeyになっているかと思います。

Q:たとえば、どんなことで怒りが起きますか?

A:自分のテリトリーの侵害ですかね。

Q:自分のテリトリーとはどういったものですか?

A:自分が守るもの、関係性が強いものです。
無理に引き出された感情とかもですかね。
最近でいうとそのテリトリー侵害のため
家族とは、連絡を絶ちましたし、
弟の挙式にも参加していません。
その時のやりとりについては、記憶が
あまりありません。
記憶の面でいうと母代りだった祖母を亡くした時にも
いろいろなことがありました。

Q:わかりました。
今日は、これぐらいにしましょう。
これらの問題は、早期回復は無理ですし、
一度に過去のことを引き出すと
今のバランスが崩れると思いますので。
気長にいきましょう。

A:私もそう思いますよ。先生。

2008年3月24日月曜日

思考

タブロイド思考


文献、マスメディア等による

類型的な思考の分類や、決まり文句を元に、

その事象の原因やありようを理解したような気分になる

これをタブロイド思考と呼ぶ。

本やテレビに感化されすぎたり、

自己分析を過剰に行うとそのようなものに

なりやすい。

この思考に対して、

良いも悪いも、何かをいいたいわけではない。


人間は、未知を恐れる。

知らない場所、人、情報、物。闇。見えないもの。

これらに恐れる。

しらないものを恐れる。

当たり前のことだ。

ただ、それに対して原因、要因、答えを

見つけ出そうと頑張れば頑張るほど、上記思考になりがちだと思う。


人間、未開な部分はグレイだ。

感情だってそうだ。

幸福、喜怒哀楽

目に見えないものは、グレイで位置づけしがたい。

でも、それでよいのだと思う。

たぶんそれらは、個々が決めるところだからだ。

第3者が位置づけするものではない。

感ずるままでよいと思し、第3者をたてに物語るものでもない。


僕は、まずそのグレイな部分を形成する

「個々」を見つけようと思う。

そして、殻からぬけだしてみようと思う。

これもまた、固定概念かもしれないが・・・

まずは、踏み出してみる。

2008年3月21日金曜日

Starting By Myself

漂っている。

ただただ漂っている。

アロマオイルの香りにつつまれ

ぽかんとしている

遠くで聞こえているレベルの音楽の中

大の字で目を閉じた自分が漂っている

何も感じないその空間は

次たる自分への試練の前準備

さて、そろそろ行こう

自分がどれなのか探しに行こう

結果どうあれ、

始めなければ始まらない

動かなければ動かない

だから

始めよう

動こう

幾重にも とりつくろった仮面を剥ぎに

2008年3月17日月曜日

幸せのレシピ2



食事ながら考えてた。

懸命に作ってもらった

かずかずの料理を


思い出すと姿、味すらよみがえる。

そう。

これも幸せのレシピの要素

アフターケアも忘れない

絶対と相対

狭い空間の中、体あずけてみた。

広い

たしかに狭いのだ。その空間

しかし広い

空気中のあらゆる要素の占有率が低いのだ

音、空気、におい

私は、今、以前とは別空間で生活している。

始まる前から理解していたのだが

これほどとは、全く自身の想像力のなさに

驚かされるばかりだ。

2008年3月13日木曜日

疑問

なぜ、どうして

頭に浮かぶことは、盛りだくさん

しかし、その回答は求めてはならぬ

疑問に思うことには、答えがないことを

理解しているからだ。

だから今は

そっと置いておこう。

すっと通りすがろう。


その内、

求めしものが目の前に

転がっていたりする

にぎりしめていた拳をひらくと

ふっとあったりする。


「時」には、そんな作用もある。

さぁ まずは、そっと置いておこう

2008年3月11日火曜日

幸せのレシピ

幸福のレシピ


昨日のご飯は

トマト煮

だった。

もちろん大好物。

味付けもばっちり。

でも幸福レシピとは、

材料、分量、味付け

それとは違うのだ。

作り手の姿や想いを感じることが

また、それを食べる相手に感じさせること

それが幸福のレシピ

僕には、到底及ばないスキルだ。

彼女は、そのスキルを持っている。

胸が痛くて、泣きたいぐらいこみあげてくる

何かがあるのに

枯渇した涙は流れることはなかった。

僕は、どうしてしまったのだろう。

話はそれたが、

幸せのレシピをもっている彼女の料理を

食べさせてもらえることに

感謝した。

2008年3月5日水曜日

作り上げた不安

音を上げて動き出した歯車は

加速し動いていく

私は、それを眺めながら横目で

歯車のずれを気にしながら

潤滑油を指す者をみている

時間の経過がそうさせたか

作業の疲労でそうせたか

やや緊張ぎみでやつれている

そして私は、無意識に

その潤滑油を水にすりかえた。

まだ回っている歯車

水にすり替えられたともしらず

作業をこなす者

私は、それを傍観している。

2008年3月3日月曜日

PLAN α

計画を練る。

計画には、

動機、納期、採算を考えないと

ならない。

先がみえなくとも

計画はたてなければ、進まない。

次にその計画の進捗、予兆管理をする

そこで、リスケジュールされることもあれば

計画自体変更しなければならない。

そして、今回

僕らの人生に計画を立てた。

まずは、進もう。

計画どおりいくなんて

まさに皆無。

だから

計画の進捗、予兆管理

動機(目的)の再確認をとりながら

進もう。

2008年2月25日月曜日

多重に見える僕は うその塊だ

決断の道

どこまでも

いつまでも

そう思っていた道に

分岐ができた。

僕が作ったのだろう。

その分岐は、幾通りもある長き道なき道

彼女は、無理矢理でも

選ばなければならないので

選んだのだろう。

僕が選んだ道に

つらくかなしいと感じているだろう。

それを目前に

痛くて

つらくて

どうしようもない

心の波が押し寄せる。

眼から出る水性の物質は失せたが

そう感じる。

選んだ道は、最期をしらぬ。



僕の今というのは、はたはた

落胆させる身であり

凛とした態度は、張りぼてにすぎぬ。

骨と骨があたってぎこちなく立っている

彼女を傷つけることしかできない。

その刃はそのあと僕の五体に突き刺さる

悪意はないが、僕にはこの方法しか知らぬ

彼女の笑顔は見えぬ

僕の笑顔は亡くなる

彼女の笑顔は見えぬ

ピンク色した僕の肉片からは

僕にしか見えない黒い血がふきでている。

彼女はいう

その黒い血は、幻想だと。

そう信じれる日の道を選んだつもりだが

まだその幻想は見えている。

誰にも話せず

誰にも打ち明けれず

誰にも相談できない

しかしながら、環境があれど

この状態を言葉にだすことなど可能だろうか

もがき、くるしみ、切り裂いて

沈黙の僕がそれをつつみこみ

我に帰る。



決断は、大いなる出発への兆しと考えている。


この決断に健闘を祈りたい。


どうぞ いつか この決断に意味があること

知らしめてほしい。

2008年2月24日日曜日

無理

無理なの

いやそうではない。

無理なの

だからそうではない

私には、無理はない。

その状態にさらされたら

常にその無理は、瞬時に無理ではなくなる。

それは、無理なの

そうではない。私には無理はない。

無理とは、本人にとって楽な道ではないのだ。

無理とは、苦しく、悲しく、はかなく、つらく

はだかる壁を目の前に立ち尽くすことだ

それは、私にはできない。

その壁を見ずにとおりすぎる

まるでそれら空間のすべての道筋を知るかのように


だから、無理はない。

無理など存在しない。

わかっているなら作ればいいのかもしれない。

その壁を つらさを 悲しさを



ただ今はできない。

Full Moon

我は月

その身は、自己で輝けぬ

しかしその時は終わったようだ。

我は、時間、場所、状態にかかわらず

満月。

赤黒く放つ満月。

見ておくれ

こんなにも輝いてる

つくり、装い、砕けかけても

それは、満月。

今日は

「人にやさしく」

を聞きながら

少しの休息を得よう

2008年2月15日金曜日

決断の断絶

間の悪さには、感激を覚える

今 一本の糸の上を渡っているが

もうその必要もなくなった

1000手を考えて

その中のえりすぐりの1手を

断ち切られた。

あとは、そのまま待つだけ

さー 相対時間よ

止まっておくれ

人としてここに存在しえる間に

価値とは

われんばかりの歓声も

静けさの中の耳鳴りも

対して差はなし。

生れしも

奪い合い、はたまた押し付け合い

自己で繰り返しては

嫌悪のおぼれる。

さてさて

これまでもこれからも

変われようもなさそうだ

心の臓がうごいていれば

それでよいか

2008年2月13日水曜日

清き水

割れそうになる頭をかかえ

思うことは

毎日の業務でも通勤でも生活でもない

なぜ私は、涙を流さないのだろう

ただ それだけだ。

2008年2月12日火曜日

進め

私は、私の決断を信じる

第3者に傲慢といわれてもよい。

結果失敗してもよい。

信じている。

でなければ、誰がそれに耳を貸そう

だから

私は、あなたの意見を信じる

私は、あなたの決断を信じる

よいではないか

そのあと何が起きても

そのあと何があっても

また意見、決断の時がくるだろう

また、それを誰よりも信じよう。

しばらく

青い空

しばらく見ていない

青い海

しばらく見ていない

緑の大地

しばらく見ていない


何を聞かれても

そう答えるだろう

私には、もしその者有りきでも

見えてないのだ。


あなたの心

私の心

見るべきものはたくさんあるのに

私には見えていない。

どうか理解だけではなく

心に刺さる痛みとともに

見てみたい

2008年2月4日月曜日

開演

幕開け前

入念な打ち合わせをする

そこで、意識あわせを実施する。

私はあなたに何もしてあげれなかったが

1つだけ教えてあげることができた

私が欠陥品であることだ。

私は私の欠如した部分を補うだけの

能力はもっていないので、私達にあずけた。

それでも幸せだった。

欠如した機能のうち「記憶」という機能もある。

それでも私は幸せと理解している。

欠如した機能のうち「感情」という機能もある。

それでも私は幸せと理解している。

今でもいつでも

開幕の時間はもう近い。

あなたは、不幸な期間があったと言う。

私の欠如は必ず他を傷つける。

どんなに銀紙金紙にくるんで、ごまかしても

私の欠如は必ず他を傷つける。

あなたは、私が間違っているという。

あなたは、私が怒りと恨みに満ちているという。

多分、正論なのであろう。

私の手は、血にまみれている。

開幕の時間がくる

さて、私とあなたは、これから

久しぶりの大舞台に立つ

二人して決めた

自分の判断が正しいということを仮定に

互いに大舞台に立つ

公演は開始された

あとは、互いに決めたことに準じて踊るだけだ。

海路

踏み出した海路は

思いのほか困難であった

船首 船尾 右舷 左舷

改造に改造を重ね、

また海路をはしる

君はそれを見て

不幸と感じるだろうが

私は、むしろ幸福に思えた

君はこれから起きる物事を不安に思うが

私は、むしろ光に思える

ともに海路を歩んだことの事実を

どう捉えるか

それは、君自身が感じ、私自身が感じる

私は、いつ何時も幸せだ

2008年1月31日木曜日

物事のはじまり

物事は、始まり終わる

2ステップならば

悩むこともなかろう

実際は、「始まり終わる」まで

無数のステップが存在する。

しかし「始まり終わる」が

事実になった時には、

その無数のステップ無視はできない。

だから進もう。

たとえ傍観者には、後退に見えようとも

進もう。

想定される結果の妄想に惑わされずに

2008年1月30日水曜日

0に還る

合理的に考えて

私が0に還ることは、非常に有効的であるが

私は、私だけの世界で生活していないため

その傷を背負う人が出てくる。

無論、無傷などは、考えられないが

極力さけたいものだと思いなおす。

それを加味し、合理的に考えて

私は、0に還ることをやめることにした。

今回、考慮する中

もともと自身が1かどうかもわからないのに

他は、1とみなしているところが

私的に滑稽に思えた。


今度は 1であろうがそれ未満であろうが

0でない状態で、

私が壊れないうちに

私は、考慮しなければならない。

私が、今自分が壊れている様を最後まで見届ける前に・・・

まだ、大丈夫だ



粘土化されたものが体から流れ出すのを

押さえながら、何事もないかのように

振る舞いながら考慮する。

2008年1月29日火曜日

連続夢

今週から出てくるようになった

彼(彼女)は、ルナという

何か告げていて夢は終了する。

今日いわれたのは


「意味あるのかい


その一言

これは夢だ。

だから何かわからない

意味がないかもしれないし

何かの合図とかメタファーかもしれない。

ルナ

今晩もくるのか

2008年1月28日月曜日

とどかない声

たすけて

Warning

理解してる

危険である

くるしくもある

さて、崩れかけてきた

私は、怠慢なことをやったのか

私は、傲慢だったか

わからないが

次々と舞い降りてくる何かが

侵食し、壁を崩し始めた。

この感じ覚えている

怖くはない

怯えもしてない

ただ今の状態は

危険である

くるしくもある

そう理解している。

こだま

時として、自ら動かなくとも

環境がそうさせてしまうことがある

まさにその局面に立った

全てを優にすることは、できない

どの選択にも劣がでる。

どれが正しいなぞ無駄なあがきは

他と自らを傷つけるだけだと考える

では、どうしようか

今回は、仮面で防ぐことが難しいらしい

どうしようか

やはり、手前 劣の方向が

一番なのだろうか

思い悩む

崩れていく音だけが、こだまする

2008年1月24日木曜日

今そこに立っている

北に血の雨

南に灼熱の大地

東に獣の牙

西に投影された自分


さて行き場がない

動かなければ安全だ。

これでいい。

これでいい。

多の中の1人

時間的に働いた

疲れた

自ら問う

疲れているのかい

自ら答う

いや疲れていない

すれば、疲れは消える。

隠しているのではなく消滅する。

正確にいうと

隠れているかもしれないが心から消滅する

全てのことにそれは使える。


大丈夫


この答えが、全てを楽にさせ、解決させる

この僕がいるかぎり

この僕は今は必要だ

この先も必要であろう。

感謝をしなければならない

2008年1月22日火曜日

綴る

僕は僕が思う以上に

他の人は、僕に関心がないことを

知っている。


僕は僕が思う以上に

他の人は、僕に関心があることも

知っている。


その差異は、第3者の都合であることも

知っている。


だから、僕は、僕になれない

だから、僕は、僕に気付かない

だから、僕は、僕を探す。

その旅の過程をこのサイトに

つづることにする。

もしも

優雅な家庭で、

フットワークも軽く

仕事と家庭の両立もできる。

もしもそうだったなら・・・


意味がない設定。


私は、「もしも」に違和感をもつ

今の現状をなぞりつつも

仮定された条件をあてはめ

ある種期待してしまう この言葉


矛盾している。


「もしも」という仮定世界を創造しつつ

今の家系図、社会状態等の設定を

引き継いで考える。

その「もしも」が現実になったとき

おそらくは、今の設定は無いものであろう。

そのことは、まったく考慮されていない。

ゆえに

私は、「もしも」に違和感をもつ


私が、「もしも」を使う時は、

未来分岐にたどり着く時、

多数の結果を考慮し、

選択したあと対応策を できるだけ頭に入れておきたい時だけである。


おそらくは、それが正しい「もしも」の使用方法であろう

おいしい

分かっている

分かっているんだ

それが美味しいこと

ただ、「美味しい」と理解しているだけなのがつらい。

おいしいことを理解しているだけなのだ

「理解しているだけ」がつらいことを理解しているだけなのだ


同等

それら感覚は、みな理解している状態


言うまでもないが、この理解についても

理解しているだけである。

2008年1月18日金曜日

0と1の選択の傍観者

ふと窓辺を見ると

ビル11Fの壁に

手がしがみついている。

何かの想いがそこに残ったか

答えは、知らぬが

それを見 思う

世に残りたいのであれば、残ること

そうでなければ、残すな

いつまでも視界から消えぬその手に

対応もせず

仕事をつづける

考慮

ぐるぐると考え始め

まだまだ到達しない物事を

今だ 追っている。

ある程度、固まった段階で

表に出すと

負の要因になり

また考え始める

メビウスの輪

愚か

私は、愚かだ。

否定できぬ。

そう それこそが愚かだ

2008年1月17日木曜日

根源

どんな風に伝えたらよいのだろう。


私の根源は憎しみに溢れているのに

こんな汚れているのに


そんなことないよ

そう感じるだけ

ちがうよ

病気だ


たしかに自分自身を捕らえられない

私は、その意見に真っ向に反論できない

しかし

感ずる

この濁りきった眼の奥から

この荒みきった心の奥から

この身の全ての毛穴から

まだ見ぬ私の邪悪な何かが・・・



根源は絶つにかぎる

さいごのピース

パズルをはじめる

順調にことを進める。

さいごのピースに手をかける

はまらない

そのピースをよく見ると少々絵ずらも形もちがう

仕方がなくパズルを破棄する

次のパズルにとりかかる
さいごのピースに手をかける

はまらない

そのパズルをよく見ると、さいごピースは、昨日 最後に手にしたピースだった

そしてまた

パズルを破棄する

姿

陽は、その身をすりぬけ

アスファルトを刺す

私の影さえ見えてくれぬ

雨は、激しく身を刺し

泥沼を作りだす

断片化した私だけを

映し出す

毎日、形を変え晒される

私は、まだ私に会っていない

2008年1月16日水曜日

僕の背に翼があったなら

なんら疑問も持たず

羽ばたき舞っているだろう

そんな幻影に

悩みつつ

疑問をもちつつ

座っている僕は

幸せだ

残したもの

愛した人への罪は

恐ろしく肥大化し

改善を願うも

逆に刃となりその傷を広げる

間も悪く

言葉も悪く

心はただれ

僕は、どう泳げば

それを食い止められるだろうか

ともあれ

僕は罪を犯し肥大化させ残した

さぁ

分かっておくれ

僕をなじり、いたぶり

その傷の痛みを教えておくれ

その傷は、僕自身

それが僕の残したもの

明日

見えるものには、明日を感じない

僕の明日は、いつくるのか

その答えは、いらない

いつまでも今日を生きることに決めた

これが今のBetter Answer

2008年1月8日火曜日

幸 不幸

事実は1つ

それにまつわる感情を 幸 不幸 と呼ぶ

おそらくは、上記が真で

他と比べるものではない


感情が無いかのように隠し偽り

時間を進めている私は

幸 不幸は ない

あるのは、事実のみ

2008年1月2日水曜日

年明け

3大欲の欠落

まだ目的地もわからない自身の旅

永続的につづく切迫感


何を祝おう

そう

それらが、なくなる事の可能性が

0%でないことを

祝おう