2008年5月7日水曜日

おさらい

祖母の何回忌か忘れたが

お坊さんが、説法で、こう言った。

「これは、故人のためだけではなく、故人の縁の
 集りの場でもある。縁というものは
 そういうものだ

そうか

まったくもってそう思う。

私の祖母の縁は、そこにあった。

もう10年以上たつが集まる縁。

うわべだけの人達は、消えうせた。


私は、無信仰だ。

なので、葬儀、戒名はおろか

骨になったら

うちくだいて、そこらへんに

おいてもらえればそれでかまわない。

死に美意識を感じないし、

残ったお金があるならば、

生きた人間に使ってほしい。

墓は、嫌悪感が募っているためか

いれてほしくない。


今、死にたいとは思っていないが

生とて同等である私は、残った人たちへの

配慮にかける発言をしている。

しかし、残った人たちは

悲しみだけでは、生活がなりたたない

生きているから、その先がある。

死んだものは、悲しいが、先がないのだ。


そして、おさらいする



それは大切なもの

見えないものでつながっている。

相手が故人であろうがつながっているのだ。

私は、それに着眼したい。

ひとりでもいい。

もし、自分自身が故人となり

10年がすぎ

私の縁を感じてくれる人がいるなら

私は、生きてよかったと感じるのであろう。


私は、その縁を

まず自分にみつけなければ、ならない。

私と僕たちを繋ぐ縁。


私が勝手に作り出した僕たち

ごめんなさい。

私をとりまく人達

ごめんなさい。


まず、私は、僕らと手を取り合おう。

そして、私にとりまく人達に

謝罪がしたい。

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