祖母の何回忌か忘れたが
お坊さんが、説法で、こう言った。
「これは、故人のためだけではなく、故人の縁の
集りの場でもある。縁というものは
そういうものだ
そうか
まったくもってそう思う。
私の祖母の縁は、そこにあった。
もう10年以上たつが集まる縁。
うわべだけの人達は、消えうせた。
私は、無信仰だ。
なので、葬儀、戒名はおろか
骨になったら
うちくだいて、そこらへんに
おいてもらえればそれでかまわない。
死に美意識を感じないし、
残ったお金があるならば、
生きた人間に使ってほしい。
墓は、嫌悪感が募っているためか
いれてほしくない。
今、死にたいとは思っていないが
生とて同等である私は、残った人たちへの
配慮にかける発言をしている。
しかし、残った人たちは
悲しみだけでは、生活がなりたたない
生きているから、その先がある。
死んだものは、悲しいが、先がないのだ。
そして、おさらいする
縁
それは大切なもの
見えないものでつながっている。
相手が故人であろうがつながっているのだ。
私は、それに着眼したい。
ひとりでもいい。
もし、自分自身が故人となり
10年がすぎ
私の縁を感じてくれる人がいるなら
私は、生きてよかったと感じるのであろう。
私は、その縁を
まず自分にみつけなければ、ならない。
私と僕たちを繋ぐ縁。
私が勝手に作り出した僕たち
ごめんなさい。
私をとりまく人達
ごめんなさい。
まず、私は、僕らと手を取り合おう。
そして、私にとりまく人達に
謝罪がしたい。
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