わかるということは、2種類。
情報により理解すること
情報がないけど把握できるということ
前者はいうまでもないが、
後者は、「勘」みたいなものだ。
(コールドリーディングは別とする)
完全に把握はしてないものの後者において
私自身異例なほど、大きい意味をもつ。
前にもここで述べたことがあるのだが、
時に昼でも夜でも場所、意識をとわず
頭に3Dの画像が入ってくる。
当たるというより、こうなるであろうことが
予測よりも大きく分かってしまっていることが
多い。そしてそれは実現する。
短時間で起きるものと
いつ起こるかわからないものまである。
もちろん仕事では、有意義に使わせてもらっている。
では、私生活ではどうだろうか。
もし、他人のことであれば、
あえて、公言しないことにしている。
あまりに悪いことであれば、助言はするが
それは、極めて、例外。
人は、公言する(される)ことにより
それに近づこうとする傾向がある。
たとえば、木々の影
心霊写真と言われてみせられると
まさにそれが人の顔みえてしまうといったのは、それだ。
人間は、自分がしっている、または、できるものに
当てはめて、考え、行動するようにできている。
だから 言わない。
自分自身にとってのものは、
良いものは、自然としてればそうなることが
わかっているので何もしない。
悪いものについては、現実化しないように
行動をとっているが
避けられる場合とやっぱり直面する場合
FIFTY FIFTYだ。
良し、悪しきかかわらず、この状態を
あえて人には、伝えないが
伝えるときは、
「いずれわかるよ」
としかいわない。それは、やっぱり
100%ではないということと
公言したことによって、人はまた
その傾向に近づこうととするからだ。
こんなこと信じますか?
信じれないのが普通。
信じるほうが異常かもしれない。
ただ、身に起きている人にとっては
結構、苦しいものだったりする。
わかるということは、常に過去形であってほしい。
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