2008年4月30日水曜日

必要性

それは、対外的なものであり

自己のものとはちがう。


すなわち 自己価値=必要性ではない。


似てそうだが違うものだ。


必要性とは、

他が認める、求めるものであり

己が認めるもの、求めるものではない。

だから、私は、気にしない

そして、それがあったとしてもなくても

歓喜も憂うこともない。

それは他にとっての自分だからだ。

私は、私を見つめたい。

そう まだ私は、他の私でしかない

私は私になりたいのだ。

他が求めるのではなく、私自身になりたいのだ。

その私になる時を

待つのではなく

向かっていこうと思う。

2008年4月27日日曜日

排除と共鳴

私は排除して生きてきた。


私に関心をもたない人は、

私は近づかない。

私を邪険するものは

私は、追わない。

この排除方法は、的確で楽だ。


過去、私は、八方美人だった。

誰にも嫌われなくないし

誰でも楽しくやりたかった。

でも、それは理想であり、現実には

そうはいかない。

そこに自責を感じてしまっていた。

そして、薄っぺらな関係は

大きなものを生むわけでもなかった。


だから、考え方をかえた。

私は、排除する

関係ないものはすべて排除する。

いらないでしょ?

重要じゃないでしょ?

自分を他にみせる人は

限られた人だけでいい。


ただ、その逆

そう関係するものには、

強く共鳴する。

ただ、私は下手なのだ。

その伝え方、考慮の仕方、近づき方

全てにおいて下手だ。

私が下手といっているもの全ては、

相手に非がない。

ただただ、私のやり方がまずいのだ。

まったくもって自分のことだが閉口するばかりだ。


今、大事な人さえもどうすることもできない。

何をいっても伝わらない。

それは、相手のせいではない。

どう考えてもうまくいかない

それは相手のせいではない

ちかずけば傷つける。

それも相手のせいではない

からまわりは、悪循環を生む。

1000手先を考えても、先はみえず

今は、ただ見守ることだけしかできない。

無力

頭の上に落ちつづける この岩には抵抗できない

転換

G/Wの行方がまだみえない。

昨日も今日も仕事。

明日は、早出。

どんどん過酷になっている仕事。

しかし どうだろ

あまり疲れはない。

むしろ安心しているのかもしれない。

働いた分 跳ね返ってくるから

もっともっと過酷にならないかなと

望んでいるのかもしれない。


いま 経済的に余裕があるわけではない。

会社にいると 電気、水もつかわないし

余計なこと考えないし、給料をもらえる。

合理的に考えるとこれは、とてもいい環境だ。

そう転換して

今日もすすもう。

2008年4月25日金曜日

変化

状況の変化とは、ほとほと勘違いされるものだ。


仕事がかわったり

家がかわったり

人がいなくなったり加わったり


これだけでは、状況が変化したとは

いえない。

とりまく環境が変わっただけである。

環境がかわったても、状況がかわらないことは

多々あることであり。

仕事がかわってもその場に溶け込み

荷もなく仕事をこなしている人なんて

多くいる。

これは環境が変化しただけで状況は

変わっていないことを指す。


状況の変化とは常に心構えとセットになる。

仕事がかわったり

家がかわったり

人がいなくなったり加わったり

これらの例えに身を置かれた時、

状況がかわらない、かわった

と感じているのは、

心構えが変わらない、変わったというべきだ。


今回わたしは、住む環境がかわった。

ここには、状況の変化はない。

しかし、何かを決意した時それは

状況の変化といえるだろう。

そして、私は、決意している。

今まで幾度とも人を壊してきた

意図せず、意識せず、壊し続けてきた。

ここで、私の決意は

これ以上、人を壊さないことではない。

もしここで、壊さないことに決意すれば、

私は、まったく人に接しなくなるか

その自分を作り上げてしまう結果になることは

過去をみても明らかだからだ。

私の決意とは、壊してきた自分を

意識してとらえることだ。


違いがわらからないと思われるが

私にとって、多々の自分をもち

どうしても破壊の道を歩んでしまうという事実

がある以上、私は、私を把握しなければ、

その根源たるもんは消えないだろう。

今、状況は変化している。


もちろん結果どうなるかは

期待もなにもしていない。

その結果は事実として受け止めよう

2008年4月23日水曜日

楽でいいね

その言葉は、当たっている。

感情、欲がなければ

実際、楽なのである。

仮定の話ではなく、身をもってそう感じる。

苦もなく楽もない。

ただ、事実と計画と過程と結果をこなすだけ

楽にやっていけるのである。

しかし、その代償も大きい。

いわゆる楽しみ、感動とかの

ストレスの発散や人間味も

同時になくしてしまうからだ。

自分だけならまだしも他者のそれを

感じることも薄れてくる。

その結果、人間関係にはおおきな波紋を呼ぶ。

そんなには、都合良くできていない。

生物として欠如している状態

まずは、いきもの に・・・

当面それが目標だろう。

うずまく世界

降り続けている雨は

止むどころか強く激しく

とどまることはしらず。

形どった建物はしずみ

芽は、ながれくる水と一緒に土にかえる


窓をあけると燦々と日が差している

どうか私もその中にいれてほしい。

冷たく凍えそうな世界からみえる

その光景は、まぶしく輝いている。

全身に打たれる水の槍は

けして、その世界への扉を開かせてくれない

2008年4月22日火曜日

振りかざした手

頭上たかく上げた腕は

架空なもの

握りしめた拳は

妄想

振り下ろされる相手は自分

それは現実

2008年4月19日土曜日

電話鳴る

電話をとると弱々しい声が流れた。

そこには、とても音声だけでは

伝えきれないすべてのものを用意されていた。

私は、それに対応できるものを

もっていなかった。

なぜなら、

私が、発する一言一言を

彼女は、パーツして組み立ててしまうことが

こわいからだ。

その組みあがったものを見て安心感を

瞬間的に創造しても、

明日になるとそのパーツは消え

不安感、孤独感をより一層煽ることになのが

わかっている。

だから、手段として電話でこう伝えることしかできなかった。


おれではなく、自分を心配して


私には、それしかできなかった。

無力さを覚えた土曜の夜だった。

2008年4月18日金曜日

行方

そもそも なぜ という議題は、

物事、現象に関して問うべきであり

その存在自体に問うてはいけない


「象」事態の生態を問うのはよいが

「象」がなぜいるか

その答えは、「象」にもわからないのである。


私は、昔、それを自問自答した。

自分という概念より

宇宙としての人類の意味

そしてその中の1つである私の意味

文献をあさるが、

信仰、説をのぞくと

明確な答えなぞ載っていない。

信仰、説は、人が作り出した

ある思考のかたまりであり、答えではない。

いわゆる真理ではないのだ。

そこで、私が感じたのは、

私事態、意味がなさないものであるなら

私は、いてもいなくてもよいのではないか

ということだ。

多分、絶対的観点だと

この答えは、はずれではないと思う。

ただ、相対的に考えるとまた違ってくる。

人が求めている自分

自分が求めている自分

それらをとりまく環境。

そして、未知な領域

つまり未来求められるかもしれない自分

これらは考慮するものであり、

ふまえると価値とは、前者とは違う意味で確立する。


存在しているからこそ

未来永劫出てくるこの議題は

取り上げると体力、気力だけを消耗させる。

つまり簡単にいうと

考えるのには、もったいないということだ。


存在がある以上、自分自身も含め何かよって

その価値はある。

時には正、時には負に感じることがあってもだ。

その価値は、どちらとて意味があるのだ。

また、価値とは、考えて作り上げるものではなく

つくりあげられている場合も多い。

それを利用するといったこともできる。

価値とは多角的に見通さなければ、成り立たない。

その行方をきめるのは

自分自身であるということも感じている。

2008年4月17日木曜日

雨は嫌いだ。

服はぬれるし、傘はささないといけない。

しかし、好きでもある。

それは傘を忘れて濡れて帰っているとき

そう思わせる。

抵抗をやめ、そのまま雨をうけ

ほほを伝う雨は、枯れた涙も思い出させる

飽和した空気が心を包んでくれる

汚れた自身を洗い流してくれる気がする


抵抗。


それは不自然な動きなのかもしれない。

自然にうけとめ感じることが

大切なんだ。

2008年4月16日水曜日

誇るということ

自分を誇れる人

私は、少し視点が違うようだ。

誇るとは、第3者が他人を感じるものだと

思っている。


今、私は誇りにおもっている人がいる。

毎日その人のブログを

幾度もみてるが山あり谷あり

またその環境は、突然やってきたもので

それでも1歩1歩確実にすすんでいる。

それが、時には、後退しているようにみえても

前進している。

私は、まだスタートにもたつこともできずに

いるのに

弱いと言っているその人は、

実は大きな芯をもっている。

それを私はしっている。

感心ばかりはしてられない。

今、私は、病院にいっている。

先生との会話にその人のことは、一切でなくなった。

私は私の病気に専念しろということだろう。

最近、問診時間も長くなり、

先生も分析しているようだ。

治すところまでいけるかどうかは知らない。

ただ、私は、私たちんの中、

またはちがうところにいる

私をさがしだそう。

誇れるあなたを見ながら

2008年4月15日火曜日

激励

血がたりない

肉をたべることにした。

血が薄い

ほうれん草をとる。

体調管理しないと仕事もできない。

集中しろ

摂取すれば動ける。

さー 今 足りないものを取り込め

俺の体だ。

いうことききやがれ。

まだまだいけるはずだ。


病院いったら、眠剤が増えた。

ということは、それでまだいけると

俺は判断する。

悪夢の話をした。

それは病気への闘いの

過程であり、見るしかないと言われた。


そうか、ならば目をそむけない。

こい

どんどんこい

今の俺は、何も怖くない

転がって、立ってふっとんで、

足元すくわれて、頭かちわっても

俺はいける。

俺はまだいける

まだ スタートしたばっかりだ

さー まような

立ち向かえ

貧血

本日

体調がおもわしくないため

いつもの病院にいった。

帰り、気持ちが悪くなり

瞳孔がひらきっぱなしに気づいた

まぶしい。

何もかも

光であらゆる文字がみえず

なんとか帰り着いた14時。

横になって起きたら0時。

これが貧血かと思い知らされた。

まだまだ大丈夫

こんなのに負けてられない。

2008年4月13日日曜日

寒い

どうやら この部屋の扉は

隠すことしか機能していない

電気を消せばわかる

四方から外の光が中にこぼれている。


寒い。


しかし、この寒さは

気温だけではなかろう

凍えそうだ。

きこえてくるのは、

PCのファンの音と

歯が高速に当たる音

どこにもとどきそうもない

音にならない声を

あげ丸くなる

2008年4月12日土曜日

休暇

仕事がない土日は

途方に暮れる

外にいけば

否応なく、他者の

笑顔に出会う。

今はそれを眼の中にいれたくない。

思考を停止する。

2008年4月9日水曜日

ラインを越えて

越えることが可能か不可能かは

各々自身が大抵わかっている。

するかしないかは、本人の意識ちがい


私はうしろを振り向かない。

起きてしまったことを

都度考えても

起きてしまったことは

けして変化しないからだ。

さらに私の場合は、うしろは闇

わかっているから尚更 振り向けない。

うしろに変化はない。

しかし前には変化がある。

ならば変化を求む。

今 たぶん 今までで

一番、体力をつかっている

変化には、力がいる。

どのラインを越えるかは

これから決まっていくだろう。

Fake

さらにゆけ

笑い、楽しみ、驚き

さらにゆけ

悲しみ、同情し、怒り

さらにゆけ

社会がのぞむなら全てをFakeで

2008年4月8日火曜日

想い

想いとは伝わらないことは、多々ある。

その原因は、伝える方に問題があると

私は、考える。

伝わるように伝えてないのがいけない。

言葉の選択、時系列、タイミング、相手のヒアリングのと差異

それを考慮していない。

私は、そう考える。


私は伝えきれていなかったのであろう


私は、いまある出来事から逃げて

自分のことしか考えていないと

思われている。

生活を切り詰め、残業を重ね、悪夢の毎日を送り

相手の暮らしを考えていてもだ。


環境を変えた理由は、

環境を変えることで

人は、何かをかえなければならない状態に

陥るからだ。

人間は環境適応能力をもっている。

その身をそこに置かれると

自然にその環境に適応していくのだ。

そこから生まれるアクションは、

けして意味がないものではない。

その結果どうなるかわからないが

変化することだけはたしかだ。

その変化は、侵食たるもので

当人はきづいていないケースも多々ある。

ということだ。


私には、友とよべる人がいない。

私には、親族たるものがいない。

すべて自分で切り捨てたのだ。

答えは簡単、いらないからだ。

相談、愚痴をする相手を

全てうちけしてしまったのだ。

これも簡単、必要性がないからだ。

そして、私にあったのは、私の家族だけだった。

それを断ったのだ。

これを私の身勝手というのであれば

それは伝わっていないと考える。


互い、別の病気と闘っている

私の病は、たとえ、苦しく、わが身を焦がすものでも

一人で立ち向かえるので、割愛するが


妻の病は、私がいればいるほど

改善の道を濁してしまうものだと

生活して感じていた。

私が頑張れは、相手が悪化するという

なんともいえない状況があった。

自分の無力さを知るばかりだ。

そして、さらに自分の病も悪化させる結果も

生み出すとも感じていた。

私は、考えた。

1日そこらの問題ではなく

考えていた。


二人にとって、今は苦しくとも、よりよい環境を


答えは、私が出ていくことだった。

建ったばかりのマンション、子供、犬など

できるだけ丸ごと残して

私だけ去った。

私に必要である

仕事、寝る場所、パソコン、布団だけ もらって

生活に支障はない。


今、私にできることは

あとは、我妻がこの状況下で

どのように変化をもたらすか

影ながらで見守っていくことと考えている


最後に1つこの環境化でうれしいことがあった。

妻は、妻なりの制限がありつつも他人とコンタクトをとっている。

昔はできなかったことだ。

どんな形でも、私はそれを嬉しくおもった。

ひさしぶりの感情だった。

2008年4月7日月曜日

悪夢

凶悪だった。


薬も飲んだ。生活リズムも守って寝た。


食事する家族がいた。

子供のころ家族と食事をとっている場面だ

しかし子供ではなく大人の私だった

席につくとおかずが垂れていて

服にぐっしょりついた

意図的なものだった。

にやりと笑う母

子供のころ、それがあったかどうか

知らない。覚えていない。

しかし夢の中の僕は大人だった。

そこからが地獄だ。

僕は暴走し始めた。

母がどんどんくずれていく姿をみて

おかしくたまらなかった。

血がおいしくてたまらなかった。

そして起きた。


鏡をみる。

僕がいた。悪魔の化身だ。

顔を洗った。

もとに戻っていた。

何かが解放されようとしているのか

そして、僕はまた「大丈夫」と呪文をつげ

部屋を出た。

2008年4月5日土曜日

土日

思考停止

月曜をまつ

大丈夫

平気

私は、この言葉は使わない。

大丈夫

私は、この言葉を使う。

同義でも近しい言葉でもない。

前者は、気持ちだけ体がついていってない。

後者は、全体的の安定。

そう受け取っているからだ。


そして、私は、

大丈夫?

と聞く

おそらく、その言葉は

自分自身へ向けて一番発せられている。

答えは、いつも一緒

大丈夫

だいじょうぶ

ダイジョウブ

だいJYOUBU

質問にたいする肯定の呪文こそが

私たちを育てきたのだ。

その肯定する私たちは、

もはや、私の意見をきかない。

さて、誰からきえてもらおうか

細くて折れかかっている枝を武器に

立ち向かおう。

光を放つ人

電車の中

楽しく話している人

いったい何が楽しいんだい?

途中、一人降りて行った。

笑顔で、見送る電車に残る人

その人は、口を閉ざし無口でたっている

さっきの楽しさは、どこにいったんだい?

楽しさは現実ではなく妄想だったのかい?

そして、今は現実にもどったのかい?

それとも その瞬間だけを楽しんでいるのかい?

そんなこと思いながら、電車を見渡す。

みんな大なり小なり一生懸命生きているんだな

と感じた。

それを思うと僕は消えてしまいそうだった。

俺は一生懸命いきているのだろうか

いや たぶん違う。

だからこそ、その光にうもれて消えそうなのだ。

僕にとって、

一生懸命生きる

まだ、わからないが

それがイメージできて、形になって

自ら光を放てるようになったら

そこにまた何かをみつけることができるだろう。

今は、信じていこう。

今は、沈黙とともにすすもう。

今は、焦らず、目を閉じ 時間の波に流されよう

2008年4月4日金曜日

インターネットでチャットでも

してみるかと思っても

気が乗らない。

ゲームしようかなとおもっても

気が乗らない。

近くのデパートにいって商品を見ようと思っても

気が乗らない

散歩してても

気が乗らない。


気が乗る衝動がない。


部屋に垂れ流されてる音楽をきき

水を口にいれる

のど越しを確かめて何も考えない

無理に動くこともないか。

時に流されてみる

2008年4月3日木曜日

降りる

もう降りようか

いいだろもう

誰も文句いうなよ

色々やったんだし

そんな思いが出たり出なかったり

でも、けして降りたりはしない

降りたら終わる

なにもかも

それを恐怖しているわけではないが

僕を取り巻く何もかもが

そうさせない。

それを憂うんでいるわけではない

それこそが恵まれていると感じる。

桃色に肉片からみえている骨に

実感を感じながら、進めよう

2008年4月2日水曜日

食の変化

昼は、会社なので

社会のお付き合いがあるので、変更することができないため

何も変更していなくそのまま

朝、おにぎり と 野菜ジュース

夜、おにぎり と 
350Kカロリー以内のパスタかうどん

買い物が面倒なときは、おにぎりなし
コンビニの弁当は、高価のわりに
カロリー高いので却下

といった感じか。

結構、これでいけるもんだ。


食べたい欲求がでないと簡単でよい。

動けるためのものだけ最低限とっていれば

死ぬこともなし。

逆にいえることは、

食さないということは、

死んでしまうということ

実に不便だ

2008年4月1日火曜日

区別

何事にしても

期待した結果

期待しなかった結果

があり、それに文句はいうまい。

それらは結果は、

起きるまたは、起こされることであり

元来、期待するものではないからだ。


さて、区別といった話をしよう

友人

他人

恋人

いろんな人がいるがその区別たるものを探る

何がそれを区別させているのか

話している時間か

相手の状況の把握か

対比効果か

これらは、区別するために

なんの手段にもならない。

もし、手段として用いても瞬間的に

はじまり、おわりを迎えるものばかりだ。

では、感情はどうか

それで区別しているものなのか

曖昧で、わかりずらく、伝わらず

間違えば、自分の脳髄をつらぬく

そんなものを区別の手段にもちいるか


でも、私は、今はそれしかわからない。

そして、それを持っていない。

自分に自身がないのだ。

変換ミスではない自身がないのだ。

ないのであれば、作ろう。

無くしたのであれば、とりもどそう。

この課題のため、今ここにいる。